鍼灸マッサージ師会の歴史
療養費支給条件改善の運動
一般社団法人鍼灸マッサージ師会の前身である東京都保険鍼灸マッサージ師会は、1986年4月20日に結成されました。呼びかけ役は平尾達夫氏で、良道絡会会長だった山下良平氏を会長に、須藤三郎氏、平山達夫氏が副会長に選出されました。
現在、一般社団法人鍼灸マッサージ師会の代表理事の高橋養藏氏及び副理事長の松原幸靖氏は、この結成の会議に参加し理事に選出され、以後東京都保険鍼灸マッサージ師会、全国保鍼連の運動を支えてきたのです。
会発足の目的は、鍼灸師、あん摩マッサージ指圧師の療養費取り扱いの改善です。
東京における会の結成の半年後には、東京都保険鍼灸マッサージ師会が中心となり、鍼灸マッサージ治療の保険取り扱い改善運動推進を目的に、全国保険鍼師、灸師、あん摩マッサージ指圧師団体連合会(全国保鍼連)が結成されました。全国保鍼連の初代会長は東京都保険鍼灸マッサージ師会の平尾達夫氏であり、東京都保険鍼灸マッサージ師会は、東京保鍼連として全国保鍼連の活動の推進力の役割を果たしました。 [pagebreak]
当時の鍼灸マッサージ療養費取扱いの実情
1986年に会が発足した当時の鍼灸師、あん摩マッサージ指圧師の保険治療は、不合理な厚生省通知の制限とともに、保険者の恣意的な厚生省通知の解釈による保険治療の制限が一般的に行われており、保険による鍼灸マッサージ治療は極めて困難という状況が作り出されていました。
鍼灸の療養費の支給は、「慢性病であって、医師による適当な治療手段のないもの」とされています。この点は現在も変わらないのですが、当時はさらに、この通知に重ねて「医師による治療手段のないものとは、保険医療機関における療養の給付を受けても所期の効果の得られなかったもの又は、いままで受けた治療の経過からみて治療効果があらわれていないと判断された場合等をいうものであること」(保険発28昭46.4.1)の通知により保険治療(療養費の支給)が制限されていました。
「診療所や病院で治療を受けても所期効果が得られない」あるいは「病院や診療所による治療の経過からみて、治療効果があらわれていない」と保険者が判断した場合にだけ鍼灸治療の療養費が支払われたのです。
医師の同意書を添付し請求しても、1週間医師の治療を受けていなければ不支給にする、あるいは10日間医師の治療を受けていなければ不支給にするとして、保険者の判断で不支給が行われていたため、保険請求をしても支給がなされるまでどうなるかわからないというのが当時の実態であった。しかも、鍼灸治療もマッサージ治療も治療回数や治療期間の制限がなされていました。
このような保険適用の制限に加えて、さらに、療養費の申請ができるのは保険者が委任団体として認めた団体の会員に制限されており、保険者が委任団体として認めるのは、社団法人など厚生省が認めた特別の団体に制限する状況が一般的でした。
このため、健康保険の治療をするためには社団法人等の会員にならなければならず、保険を取り扱う団体は、不合理な行政のやり方にも異論を唱えないという、患者不在の保険治療の制限が維持される仕組みができていたのです。
行政のやり方に対し異論を唱え批判をする団体には、委任を認めるなというような意見にもとづき、東京都保険鍼灸マッサージ師会も全国保鍼連も既成団体の非難を受け、既成の団体から都知事にたいして、東京都保険鍼灸マッサージ師会には保険取扱いを認めるなというような要望書が提出されたことすらありました。